不登校期間中、親の気力体力はいかに配分・投資・運用・保持するかが重要だから、酷い人とは距離を置きました。
2017/12/30 Sat. 10:00
あくまで、面と向かって言い返したりはしませんでした。
魂レベルが同じになるかどうかはさておき、その後の処理が面倒なので。
ただ、このことに気づいてから「親ガーーーーー」と先生や保健室やママ友なんかに言われるたびに、そう考えて心の中ではスッキリしていました。
そんな風に書くと高慢と思われるかもしれませんが、子供が不登校になると親はたいてい長期戦になると思います。
例えば1日とか1週間、全精力を注ぎこむようなことってできるかもしれないけど、何か月も・何年も底割れすることなくある程度の力を発揮しつづけるのって、大変なんですよね。
「火事場のクソ力」って言葉があるものの、それって短期的な緊急事態だからこそ発揮できるのわけで。
不登校のような長丁場にはそれなりの品質・質量を保ったままの親力が必要になるのに、「恒常的」に「中年」がそんな力を保持するのは難しいです。
いくら子供のことを大事に思っていても、念じれば念じるほど・求めれば求めるほど無尽蔵に気力と体力が湧いてくるわけではないから、限りある「手持ち」の力をどう配分・投資・運用・保持していくかが肝心になるわけで。
そうすると、ただ「気にしないようにしよう!」と念じてモヤモヤしてるよりは、気にしないような理屈に気付いて、自分の心を整理して次に進めるために ちょこっと力を投資した方がいい。
人様のことをカテゴライズしたり、そんな理屈を考えたりして、人としてどうなの・・・?とかも、考えませんでした。
だって、前にも書いたけれど良い意味で「自分(の家)さえ、幸せだったら良い」んですもの。
ABの人々ならともかく、CDの人々なんてどーにもなりませんから。
在宅中ピンポーンと鳴って、「○○新聞です」・「あなたは神を信じますか」って言われたら、サッと断ってインターホンを切る位の感覚です。
その「要」・「不要」をするときに、罪悪感なんてそれこそ不要だし。
もっともらしいことを言ってくるから惑わされることもあるけれど、CDなんてほんと関わるだけエネルギーの無駄ですから。
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